敏感さは、他者を傷つけるものではない。しかし、ときに持ち主自身を追い詰める。
相手の一瞬の表情に反応して眠れなくなったり、場の緊張を一人で背負い込んで疲れ果ててしまったり。繊細な感受性は、外に向かうよりも内に跳ね返り、持ち主を試すかのように働く。
理念形成から始まる経営コンサル|”銀座スコーレ”上野テントウシャ
敏感であることは、生きづらさと共に語られやすい。小さな言葉に傷つき、場の緊張に飲み込まれ、心をすり減らしてしまう。だからこそ「鈍感になれ」という助言が差し出される。
だが敏感さは、ただの弱さではない。扱い方を学べば、見えない兆しを掴み、まだ形にならない声を聞き取る力になる。敏感さは敵ではなく、共に歩む盟友だ。
一時期「鈍感力」という言葉が流行したことがある。気にしすぎる人、考えすぎる人に向けて、「もっと鈍感になれば楽に生きられる」という処方箋として提示されたものだ。
確かに、外からの刺激に過剰に反応してしまう人にとっては、「受け流す」ことが心を守る手立てになる場合もある。小さな言葉に傷つきすぎず、些細な態度に振り回されずに済むなら、それは一つの救いだろう。
一方で、その救いは「敏感さをなかったことにする」という危うさを孕んでいる。敏感さそのものが欠点であるかのように扱われてしまうと、本来そこで働いている感覚や、他者のわずかな変化を察知する力まで閉ざされてしまう。
鈍感になることは、決して万能の答えではない。むしろ、敏感さを「抑え込む」ことでしか生きられないとしたら、人は自分が持っている大切な資質をも失ってしまうかもしれない。
だからこそ「鈍感力」という言葉には、どこか薄い違和感が残るのだ。敏感さを消すのではなく、どう扱い、どう共に歩むのか。その問いの方が、ずっと現実的で切実な課題ではないだろうか。
◾️ 自分を試す存在
敏感さは、他者を傷つけるものではない。しかし、ときに持ち主自身を追い詰める。
相手の一瞬の表情に反応して眠れなくなったり、場の緊張を一人で背負い込んで疲れ果ててしまったり。繊細な感受性は、外に向かうよりも内に跳ね返り、持ち主を試すかのように働く。
■ 盟友“テスカトリポカ”
アーノルド・ミンデル著『シャーマンズボディ』に登場する「テスカトリポカ」は、人が避けたい影や恐怖を映し出す存在だ。その姿に向き合うのは苦しいが、そこから目を逸らさずにいることで、新しい可能性が開かれていく。
敏感さも同じだ。しんどさを伴いながらも、共に歩むことで深い洞察をもたらしてくれる。それは厳しいが確かに「盟友」と呼べる存在である。
■ 魔剣という比喩
この盟友は、優しくはない。扱いを誤れば、自らを傷つけてしまう。その危うさは、強力な魔剣に似ている。
切れ味が鋭すぎるために、常に持ち主の手の中で試される。敏感さもまた、力と危うさを同時に抱えている。
■ 扱い方を学ぶ
敏感さをなかったことにすれば、楽になるかもしれない。しかし同時に、他者には見えない兆しを掴む力も失う。
だから必要なのは、抑え込むことではなく、扱い方を学び続けることだ。盟友としての敏感さを尊重し、魔剣を磨くように鍛えながら共に歩む。
敏感さは盟友だ。危うさを含んだその刃と向き合い続けることが、この資質を生かす唯一の道になる。
■ 誰も座りたがらない席
会議の場で、誰もが「自分は被害者だ」と主張している時がある。責任は自分にはないと、互いに譲らないまま時間だけが過ぎていく。
そのとき、ひとつの席だけが空席のまま残る。「加害者」の席だ。誰もそこに座らない限り、議論は前に進まない。
敏感さを持つ人は、その停滞にいち早く気づいてしまう。場が動かない理由も、必要とされている役割も見えてしまう。だからこそ、あえて「加害者」の席に座り、嫌われ役を引き受けることができる。
■ 社会のなかの「加害者」という役
これは会議室の中だけの話ではない。社会全体の流れの中でも、誰かが「加害者」の役を担わなければ動かないことがある。
たとえば、事故が繰り返される危険な交差点。長く信号設置が求められていたにもかかわらず、行政の判断は先送りにされていた。
そんな場所で悲しい事故が起き、命が失われた。その出来事を契機に信号が設置され、以後は事故が一切起きなくなった。
その人は加害者として裁かれ、人生は大きく崩れていった。犠牲の美談にすることはできないし、誰もそんな役を望んでいない。
それでも、世界のプロセスが動いたのは、その人が「加害者」の席に座らされたからだ。
■ 演じることと憑依すること
この構造は、演技の世界にも通じる。俳優が役を「演じる」だけでは、観客は納得しない。その人が「役そのもの」に見えるとき、場が初めて動き出す。演技力を超えて、役に憑依する力が求められる。
同じように、現実の場でも「自分をどう思われるか」よりも、「場を動かすこと」を優先して役を引き受ける瞬間がある。そのとき人は、ただ役を演じるのではなく、その役を生きる存在となる。
■ 扱い方を学ぶ
敏感さは、この憑依の力を支えてくれる。場の緊張や人の感情を鋭く察知するからこそ、必要な役割に身体ごと入り込むことができる。
しかし、それは常に負担を伴う。だからこそ大切なのは、敏感さを押さえ込むのではなく、その力の扱い方を学ぶことだ。
演じきる力と憑依力。その両方を手にすることで、敏感さは場を進める武器となり、同時に自分自身を支える軸ともなっていく。
■ 怪物の体から現れた剣
日本神話に登場する草薙剣は、もともと「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼ばれていた。スサノオが八岐大蛇を退治したとき、その尾の中から現れた剣だ。
怪物の体内という異様な場所から取り出されたその剣は、最初から「畏怖」と共にあった。聖なる出自というより、むしろ「恐ろしいものに宿る力」として人々に受け止められていた。
■ 魔剣から神器へ
後にこの剣はヤマトタケルに授けられ、草を薙ぎ払って命を救ったことから「草薙剣」と呼ばれるようになった。人を救う武器として語られ、国家を支える三種の神器のひとつへと位置づけられた。
つまり草薙剣は、「魔剣」としての畏怖と「神器」としての尊崇という、二つの相反する顔を持ち続けた存在なのだ。
■ 敏感さの二面性
敏感さもまた、同じ構造を抱えている。扱いを誤れば、持ち主を疲弊させる。しかし、その鋭さがなければ掴めない兆しや、受け取れない声がある。
畏怖の対象にもなりうるが、磨かれれば確かな力になる。敏感さは、ただの弱点でも、ただの強みでもない。草薙剣のように、危うさと尊さを同時に抱える資質なのだ。
■ 扱い方を学ぶ
大切なのは、その二面性を否定せずに受け止めること。危うさを排除するのではなく、尊さだけに祀り上げるのでもなく、両方をあわせ持つものとして扱い方を学んでいくこと。
敏感さは草薙剣のように、畏怖と共に生まれ、磨かれることで人を支える力になる。その両義的な姿を引き受けるとき、敏感さは確かに「盟友」として立ち現れる。
「うちは風通しがいいって、言われるんですよね」
彼はそう語ったあと、自分でその言葉に小さく首をかしげた。
それはたしかに“そういう空気”でつくられた職場だった。
笑顔もある。報連相もある。反論も一応できる。
でも、どこかが不自然だった。
誰かが本当に迷っているとき、
誰かが納得していないとき、
誰も、口を開かない。
議論の場では意見が出る。
けれど、それは「言っていいこと」の範囲を出ない。
「何か言いにくいことって、ありますか?」
ある日、そう訊かれたとき、
彼は反射的に「特にないですね」と答えた。
でもそのあと、なぜか胸のあたりがざわついた。
“自分自身も、誰かにとっての言いにくさの一部なのかもしれない”
そんな思いが、ふと頭をよぎった。
問いが届くとは、どういうことなのか。
それは、「答えられる問い」に出会うことではなかった。
むしろ、自分が見ていなかった視点が、
急に目の前に差し出されるようなことだった。
セッションのあと、
彼は部下と話すときの自分の表情が、気になるようになった。
口を挟むタイミングが、一瞬だけ遅れるようになった。
風通しをつくっている“つもり”と、
風が通っている“実感”のあいだには、
ずいぶん距離があることに、ようやく気づき始めたところだ。
彼は、いつも正解を持っていた。
部下に示す指針、顧客への回答、家族のための決断。
迷う前に動くことが、美徳だと信じていた。
ある日、「問いに向き合うセッション」があると聞いた。
正直、それが何の役に立つのか、すぐには分からなかった。
けれど気づけば、彼はその場にいた。
セッションの帰り道、手元に答えはなかった。
ただ、一枚の紙に書かれていた問いが、頭から離れなかった。
──「誰に見せるための“正しさ”を演じていますか?」
その問いは、数日経っても消えなかった。
会議中、ふとした沈黙のとき、夜に一人でお酒を飲むとき。
誰にも言えないまま、彼の中でその問いは形を変えながら残りつづけた。
半年後。
彼はまだ、その問いに明確な答えを持っていない。
けれど、何かを決めるときの速度が少しだけ遅くなった。
立ち止まり、問いを思い出す時間ができた。
そして最近、部下にこう言われた。
「……最近、課長って、なんか言いかけて止まるときありますよね」
彼は笑ってごまかしたけれど、内心ではわかっていた。
その“言いかけた言葉”の裏に、問いがある。
それはまだ形にならないけれど、確かに自分の中に居座っている。
特に困っているわけではなかった。
仕事も順調で、それなりに任されていたし、
人間関係も大きな問題はなかった。
強いて言えば、忙しさのわりに、
手応えがある日とそうでない日の差が、
最近ちょっと大きい気がしていた。
セッション前に送られてきたコラムを、
移動中に軽い気持ちで開いて読んでいた。
そこで出てきた問いのような一文に、
なぜかスクロールが止まった。
内容はよく覚えていないけれど、
「自分で選んでいると思ってたけど、本当にそうだろうか」
みたいなことが書いてあって、
なんとなく、それだけが残った。
考えたくて残ったわけじゃない。
たぶん、“思い出させられた”のだと思う。
日々の中で、考えないようにしてきたことを。
べつに答えが欲しいわけじゃなかった。
問いそのものが、ただ残っていた。
あの日から、何かが始まった──
……ような気がしている。
でもそれも、まだよくわからないまま、日々が流れている。
彼女は完璧だった。
資料は整理され、言語化も抜群。
最新のリーダーシップ論も、セルフコーチングも習得済み。
部下の話も最後まで聞くし、自己開示も忘れない。
“できている”はずだった。
なのに、どこかでいつも空回っていた。
目の前のチームが“本当に動き出す感覚”が、ずっと訪れなかった。
信じている理念もある。
正しいはずの姿勢もある。
でも、何かがつながらない。
自分だけが深呼吸をして、まわりは息を止めているような空気。
「みんなは、今、何を感じてるんだろう?」
それを誰にも聞けないまま、数ヶ月が過ぎた。
ある日、セッションで問いかけられた。
──「あなたが“うまくいっている”と信じている、そのやり方は、あなたのものですか?」
彼女は、すぐには答えられなかった。
気づけば、やってきたことのほとんどが
“良いと言われてきたもの”をなぞることだった。
その問いは、答えを求めていなかった。
ただ、自分に静かに根を張っていく感じがした。
すぐに何かが変わったわけではない。
でも最近、
言葉が出てこないとき、黙っていることを自分に許せるようになった。
問いのないまま語るよりも、問いを残したまま立ち止まるほうが、
本当はずっと勇気のいる行為だったことを、いま少しだけ実感している。