■ 立場を試される瞬間
ナイキはブラック・ライブズ・マターの運動に向き合う中で、単なるスポーツブランドではなく「社会的に立場を示すブランド」へと進んだ。
社会的運動という縁起は、ブランドに「沈黙するか応答するか」を突きつける。
その応答の仕方が、ブランドの未来を大きく分ける。
理念形成から始まる経営コンサル|”銀座スコーレ”上野テントウシャ
ブランドは誰のものか。
企業か、顧客か。
だがその問い方自体が、どこか狭い。
ブランドは所有されるものではなく、人と人、社会と文化のあいだから立ち上がる現象だ。
揺れや沈黙、偶発性や縁起を抱え込みながら自己組織化し、ときに文化を変える力を持つ。
その行方はひとつの手に収まらず、共通資産としての責任と掟のもとに呼吸を続けていく。
ブランドは、企業が所有する資産なのか。
それとも、顧客が受け取る体験なのか。
数値化すれば「無形資産」として扱われ、語られるときには「イメージ」や「信頼」と結びつく。
どちらも正しいようで、どちらも決定打にはならない。
なぜなら、ブランドは最初からそこに在るものではなく、関係のあいだから、そのつど立ち上がってくる現象に近いからだ。
新しい商品や方針が打ち出されるとき、必ず揺れが生まれる。
賛同する人、反発する人、見守る人。
そのすべての反応が、ブランドの輪郭を形づくる。
だからこそ「そもそも、ブランドとは何か」という問いは、資産の定義やイメージ操作では答えられない。
ブランドは所有されるものではなく、あいだで育ち、関係とともに呼吸していくものだからだ。
ここから先は、その現象をもう少し丁寧に見ていきたい。
ブランドは誰のものか。
その問いを抱えながら、混沌と秩序のあいだを歩いてみる。
ブランドは「誰が所有するのか」と問われることが多い。
企業か、顧客か。
だがその問いの立て方自体が、どこかしっくりこない。
ブランドは「持つ」ものではなく、「立ち上がる」ものだからだ。
企業と顧客、あるいは社会とのあいだで、ゆるやかに形を変えながら現れる。
それは所有物というよりも、現象や呼吸に近い。
■ 出番としての先導者
ブランドが新しい姿を打ち出すとき、そこには必ず先導者が現れる。
ブランドメイカーやインフルエンサー、あるいは熱狂的なファン。
彼らは「常に主役」であるわけではない。
そのときどきの「出番」として前に立ち、他の人々の動きを引き出す。
ナイキの「Just Do It」を前に押し出したのは、企業自身ではなくアスリートだった。
彼らの行動や言葉が「言い出しっぺ」となり、他者を巻き込み、ムーブメントへと広がった。
一方でアディダスの「オリジナルス」は、ストリートカルチャーの担い手やアーティストによって先導された。
そこではブランドは常に「出番」を持つ誰かに押し出され、入れ替わる主役たちが動きをつくっていった。
シュプリームの人気も同じ構造だ。
ブランドの中心は常に「誰か」が握るのではなく、スケーターや音楽、アートのコミュニティの中から、その瞬間の先導者が立ち上がり、次の波を呼び込む。
ブランドは固定された旗ではなく、巡る出番のリレーによって自己組織化していく。
■ 混沌と秩序の往復
新しい提案や方針を示すと、必ず場は揺れる。
熱狂が生まれることもあれば、強い反発が起きることもある。
その揺れはカオスのように見えるが、やがて応答の中から秩序が立ち上がっていく。
この往復のなかでブランドは「自己組織化する秩序」として育つ。
アップルがiPhoneを発表した当初、「タッチパネルは使いにくい」「キーボードがないのは不便だ」という批判が相次いだ。
だがその混沌は、実際の使用体験を通して秩序へと変わり、今や「スマートフォン」という新しい常識を築いた。
ブランドは制御されるものではなく、揺れと応答のなかで育まれていく。
ユニクロの「ヒートテック」も同様だ。
登場時には懐疑的な声も多かったが、体験を通して「冬の生活を変える日常着」という秩序が形づくられた。
混沌の反応が、やがて社会全体の文脈に吸収されることでブランドは定着する。
■ 所有ではなく、隙間に宿る
ブランドは企業の資産でも、顧客のものでもない。
その都度、関係のあいだから立ち上がる。
所有できるものではなく、共に呼吸する秩序。
だからこそ、ブランドは生き物のように変化し続ける。
スターバックスの「第三の場所」というコンセプトは、企業の一方的な提供ではない。
顧客がそこに滞在し、地域の風景や個々の記憶を重ねることで「第三の場所」は現実化している。
ブランドは会社の所有物ではなく、人々の体験とのあいだから織り上げられているのだ。
音楽やアニメの世界も同じだ。
スタジオが作品を制作しても、ファンがイベントや二次創作で関わり続けることで「作品がブランドになる」。
たとえば『エヴァンゲリオン』や『ポケモン』は、視聴者やプレイヤーが体験を持ち寄り、文化として根づかせていった。
そこには「企業が持つブランド」ではなく、「あいだから立ち上がるブランド」がある。
ブランドは所有されるものではなく、あいだで揺れ動き、出番を巡らせながら、自己組織化していく。
それは資産ではなく、現象であり、呼吸のようなものだ。
ブランドは、新しさを打ち出すときに必ず揺れる。
熱狂的に受け入れる人がいる一方で、強く反発する人もいる。
その揺れをどう受け止めるかによって、ブランドは炎上で終わるか、あるいは新しい秩序へと向かうかが決まる。
■ クレームは揺れのサイン
アップルがiPhoneを発表したとき、多くの批判があった。
「タッチパネルは操作しにくい」「物理キーボードがないのは不便だ」といった声は、むしろ新しい挑戦に対する揺れの証だった。
批判を「拒絶」と捉えるか、「関与のサイン」と捉えるかで、その後のブランドの歩みは大きく変わる。
■ 炎上か、臨界点か
ナイキがNFL選手コリン・キャパニックを広告に起用したとき、一部では猛烈な炎上が起きた。
靴を燃やす動画や不買運動も広がった。
しかしそれは「社会的に立場を取るブランド」という姿勢を明確にし、新しい支持の広がりへと転じた。
同じ揺れでも、破壊的なカオスで終わる場合と、新しい秩序の臨界点を突破する場合がある。
■ 鑑としてのエヴァンゲリオン
『エヴァンゲリオン』は、映画化のたびに大きなクレームや批判を受けてきた。
1997年の旧劇場版でも、そして近年の『シン・エヴァンゲリオン』でも、庵野監督や制作陣には誹謗中傷や脅迫すら届いた。
だが庵野監督は、それを「ないもの」にせず、真摯に受け止め続けた。
ファンの反応を背にしながら、自身の言葉と映像で応答を重ね、物語を描き続けた。
結果としてエヴァンゲリオンは、一時的なムーブメントを超え、カルチャーとして定着した。
批判を排除せず、揺れを創作の燃料に変えた姿勢は、ブランドがどう自己組織化するかの「鑑」と言えるだろう。
■ 揺れを迎える土台
とはいえ、揺れを抱え込むには「土台」が必要だ。
スターバックスには「第三の場所」という哲学が、ユニクロには「品質と低価格」という確かさがある。
その土台があるからこそ、新しい挑戦を打ち出しても炎上で終わらず、秩序へと転化できる。
十全な状態から差し出すからこそ、揺れは臨界点を超えて、自己組織化の道を拓いていく。
ブランドは、揺れを避けることはできない。
だが揺れをどう迎えるかで、その先は変わる。
クレームは拒絶の印ではなく、臨界点へのサイン。
それを受け止め、応答し続けられるかどうかが、ブランドをムーブメントに育てる分かれ道になる。
ブランドを語るとき、つい目に入るのは声の大きな人たちだ。
熱狂的に支持するファンや、強く批判するアンチ。
その動きがブランドの輪郭を際立たせるのは事実だ。
だが、それだけがブランドを形づくっているわけではない。
■ ステージの外にいる人々
ソース原理で言えば「言い出しっぺ」は常にひとり。
しかし、その一人だけがブランドを動かすのではない。
舞台の背後には、見守る人や、まだ立ち位置を決めかねている人がいる。
彼らの沈黙や傍観もまた、ブランドの「空気」をつくっている。
例えばユニクロのヒートテックが市場に出たとき、すぐに飛びついた人だけでなく、「様子を見よう」と距離を取る人々もいた。
その沈黙が、やがて「生活に欠かせないもの」という秩序を裏付けていった。
動く人と動かない人、その両方の存在がブランドを成長させるのだ。
■ 多様な関与のかたち
ブランドへの関与は二項対立では語れない。
賛成か反対かだけでなく、揺れながら付き合う人もいる。
静かに見守り続ける人もいれば、あるタイミングで突然動き出す人もいる。
アニメや音楽のブランド化を見てもそうだ。
『ポケモン』や『エヴァンゲリオン』は、最初から全員が熱狂したわけではない。
批判や懐疑も含めた多様な関与が重なり、やがて文化として定着していった。
その過程で「沈黙の参加者」も確かにブランドを支えていた。
■ 沈黙の意味
沈黙は無関心と同義ではない。
沈黙は「まだ判断していない」「言葉を探している」「様子を見ている」という状態でもある。
それらの層を軽視すれば、ブランドは実像を見誤る。
声なき関与をどう読み取るかは、ブランドを共創する上で避けて通れない課題だ。
ブランドは、動きのある人だけがつくるものではない。
沈黙や揺れを抱え込むことで、はじめて全体が呼吸する。
自己組織化するブランドにとって、多様な関与を受け止めることは、揺れを超えて生き続けるための必然なのだ。
ブランドは、計画通りには育たない。
どれほど戦略を練っても、外部からの偶発的な出来事がその意味を大きく揺さぶる。
社会の事件や時代の空気、技術の変化。
それらがブランドを想定外の方向へと押し出していく。
■ 縁起的に捉える
ブランドを「因果」で説明することは容易だ。
売上が伸びたのは広告のおかげ、炎上したのは施策の失敗。
しかし実際には、出来事は単線的な因果では捉えきれない。
偶然に見える縁の連なりのなかで、意味が立ち上がる。
ブランドはその縁起の網の目を纏いながら、かたちを変えていく。
■ 社会が意味を変える
ユニクロは「安くて高品質な服」を提供するブランドとして拡大してきた。
だが東日本大震災の際、いち早く衣料を提供し、社会的責任を果たす姿を示したことで、「ファストファッション」以上の意味を帯びるようになった。
社会的出来事は、ブランドの輪郭を上書きし、縁起を纏わせていく。
■ 偶発性が拡張する
コロナ禍はZoomを一気に世界の生活インフラへと押し上げた。
ブランドの成長は「狙い通り」ではなく、偶発性によって加速した。
技術的な基盤が整っていたことに加え、予測不能な環境の変化がブランドに新しい意味を与えた。
Zoomはまさに縁起を纏うことで「ただのツール」から「生活の必需品」へと変わった。
■ 立場を試される瞬間
ナイキはブラック・ライブズ・マターの運動に向き合う中で、単なるスポーツブランドではなく「社会的に立場を示すブランド」へと進んだ。
社会的運動という縁起は、ブランドに「沈黙するか応答するか」を突きつける。
その応答の仕方が、ブランドの未来を大きく分ける。
ブランドは自己完結的に育つわけではない。
因果の直線ではなく、縁起の網の目を纏いながら、その時々の文脈と共に立ち上がる。
偶発性をどう抱え込み、どう応答するか。
その態度こそが、ブランドを文化として根づかせるかどうかを決めていく。
ブランドは過去の資産の積み重ねではない。
現在の施策の成果だけでもない。
ブランドはいつも、まだないものを織り込みながら、すでにあるものを編み直していく。
その営みは、未来を先取りするのではなく、文化を変えていく運動に近い。
■ 文化をずらす想像力
iPhoneが登場したとき、人々は「必要ない」と言った。
それでも使われはじめると、生活の文脈が変わり、やがて「スマートフォンなしでは成り立たない」社会になった。
アップルがしたのは未来を予測したことではなく、人とテクノロジーの関わり方という文化をずらしたことだった。
■ すでにあるものを言葉にする
未来をつくるとは、ゼロから新しいものを発明することではない。
むしろ、すでにあるものの中に潜む意味をすくい上げることだ。
ユニクロの「LifeWear」は、ただの服ではなく「生活の一部」という文化的実感を言葉にした。
未来は遠くにあるのではなく、今ここにある文化の中に隠れている。
■ 揺れを抱え込みながら続く文化
エヴァンゲリオンは、映画化のたびに批判やクレームを受けた。
監督や制作陣への誹謗中傷すらあったが、それを無視せず、応答を重ねながら作品をつくり続けた。
その姿勢が、アニメという文化のあり方を大きく変えていった。
ブランドは「批判を避けた」から残るのではない。
揺れを抱え込みながら文化を更新し続けたからこそ、呼吸を続けるのだ。
ブランドは、未来を予測して「正解」にたどり着くものではない。
それは、文化を編み替える営みであり、まだないものと、すでにあるもののあいだで揺れながら形を変える。
だからこそブランドは、一度きりの資産ではなく、文化として呼吸し続ける。
ブランドは誰かの所有物ではない。
企業のものでも、顧客のものでもない。
多様な関与や偶発性、社会的な縁起を抱え込みながら、人々のあいだに立ち上がる共通資産なのである。
■ みんなの手にあるブランド
ブランドを動かすのは、声の大きな人だけではない。
沈黙する人、傍観する人、揺れながら関わる人──。
そのすべての関与が重なり合ってブランドを形づくる。
だからブランドは「みんなの手にある」共通資産として存続していく。
■ ブランドを裏切らない責任
ブランドには「裏切らない」という掟がある。
それは顧客の期待に常に応えることを意味しない。
時に期待を外れるように見える決断をすることもある。
だが、そのブランドがブランドであることを貫き続ければ、それは裏切りではなく、むしろ存在を確立する振る舞いとなる。
ユニクロが「服を通じて生活を支える」という軸を外さないように。
ナイキが「アスリートの挑戦を支える」という立場を貫くように。
エヴァンゲリオンが「揺れや批判を抱え込み続ける表現」を手放さなかったように。
ブランドは、ブランドたらしめる責任を背負っている。
■ 掟としてのブランド
ブランドは資産であると同時に、文化を動かす力を持つ。
だからこそ「責任」が伴う。
その責任は、誰かの所有に帰するものではなく、関係するすべての人と共に分有される掟のようなものだ。
ブランドの行方は、ひとつの手の中に収まらない。
みんなの関与によって支えられ、共通資産として育ち続ける。
そして「ブランドたらしめる掟」を外さないかぎり、ブランドは揺れながらも呼吸を続け、文化の中に生き残っていく。
「うちは風通しがいいって、言われるんですよね」
彼はそう語ったあと、自分でその言葉に小さく首をかしげた。
それはたしかに“そういう空気”でつくられた職場だった。
笑顔もある。報連相もある。反論も一応できる。
でも、どこかが不自然だった。
誰かが本当に迷っているとき、
誰かが納得していないとき、
誰も、口を開かない。
議論の場では意見が出る。
けれど、それは「言っていいこと」の範囲を出ない。
「何か言いにくいことって、ありますか?」
ある日、そう訊かれたとき、
彼は反射的に「特にないですね」と答えた。
でもそのあと、なぜか胸のあたりがざわついた。
“自分自身も、誰かにとっての言いにくさの一部なのかもしれない”
そんな思いが、ふと頭をよぎった。
問いが届くとは、どういうことなのか。
それは、「答えられる問い」に出会うことではなかった。
むしろ、自分が見ていなかった視点が、
急に目の前に差し出されるようなことだった。
セッションのあと、
彼は部下と話すときの自分の表情が、気になるようになった。
口を挟むタイミングが、一瞬だけ遅れるようになった。
風通しをつくっている“つもり”と、
風が通っている“実感”のあいだには、
ずいぶん距離があることに、ようやく気づき始めたところだ。
特に困っているわけではなかった。
仕事も順調で、それなりに任されていたし、
人間関係も大きな問題はなかった。
強いて言えば、忙しさのわりに、
手応えがある日とそうでない日の差が、
最近ちょっと大きい気がしていた。
セッション前に送られてきたコラムを、
移動中に軽い気持ちで開いて読んでいた。
そこで出てきた問いのような一文に、
なぜかスクロールが止まった。
内容はよく覚えていないけれど、
「自分で選んでいると思ってたけど、本当にそうだろうか」
みたいなことが書いてあって、
なんとなく、それだけが残った。
考えたくて残ったわけじゃない。
たぶん、“思い出させられた”のだと思う。
日々の中で、考えないようにしてきたことを。
べつに答えが欲しいわけじゃなかった。
問いそのものが、ただ残っていた。
あの日から、何かが始まった──
……ような気がしている。
でもそれも、まだよくわからないまま、日々が流れている。
彼女は完璧だった。
資料は整理され、言語化も抜群。
最新のリーダーシップ論も、セルフコーチングも習得済み。
部下の話も最後まで聞くし、自己開示も忘れない。
“できている”はずだった。
なのに、どこかでいつも空回っていた。
目の前のチームが“本当に動き出す感覚”が、ずっと訪れなかった。
信じている理念もある。
正しいはずの姿勢もある。
でも、何かがつながらない。
自分だけが深呼吸をして、まわりは息を止めているような空気。
「みんなは、今、何を感じてるんだろう?」
それを誰にも聞けないまま、数ヶ月が過ぎた。
ある日、セッションで問いかけられた。
──「あなたが“うまくいっている”と信じている、そのやり方は、あなたのものですか?」
彼女は、すぐには答えられなかった。
気づけば、やってきたことのほとんどが
“良いと言われてきたもの”をなぞることだった。
その問いは、答えを求めていなかった。
ただ、自分に静かに根を張っていく感じがした。
すぐに何かが変わったわけではない。
でも最近、
言葉が出てこないとき、黙っていることを自分に許せるようになった。
問いのないまま語るよりも、問いを残したまま立ち止まるほうが、
本当はずっと勇気のいる行為だったことを、いま少しだけ実感している。
彼は、いつも正解を持っていた。
部下に示す指針、顧客への回答、家族のための決断。
迷う前に動くことが、美徳だと信じていた。
ある日、「問いに向き合うセッション」があると聞いた。
正直、それが何の役に立つのか、すぐには分からなかった。
けれど気づけば、彼はその場にいた。
セッションの帰り道、手元に答えはなかった。
ただ、一枚の紙に書かれていた問いが、頭から離れなかった。
──「誰に見せるための“正しさ”を演じていますか?」
その問いは、数日経っても消えなかった。
会議中、ふとした沈黙のとき、夜に一人でお酒を飲むとき。
誰にも言えないまま、彼の中でその問いは形を変えながら残りつづけた。
半年後。
彼はまだ、その問いに明確な答えを持っていない。
けれど、何かを決めるときの速度が少しだけ遅くなった。
立ち止まり、問いを思い出す時間ができた。
そして最近、部下にこう言われた。
「……最近、課長って、なんか言いかけて止まるときありますよね」
彼は笑ってごまかしたけれど、内心ではわかっていた。
その“言いかけた言葉”の裏に、問いがある。
それはまだ形にならないけれど、確かに自分の中に居座っている。