《 恐怖と好奇心が同居した“ワクワク” 》
- アプローチ‐アボイダンス葛藤とは? -

プロローグ:
「ワクワクすることをしよう」
そう言われたとき、多くの人が思い浮かべるのは、安心できる範囲での楽しい出来事だろう。
だが、成長や変化の入り口にあるワクワクは、それとは質が違う。そこには、背筋を伸ばすような緊張感と、未知へと惹かれる感覚が同居している。
このシリーズでは、その感覚の正体――心理学でいう「アプローチ–アボイダンス葛藤」を軸に、境界線を越えるための視点と方法を探っていく。
Vol.0|「怖さ」が混ざったワクワク
— 安全地帯の外でしか得られない感覚 -
■ 安全なワクワクと、そうでないワクワク
「ワクワクすることをしよう」という言葉は、あらゆる場面で繰り返されている。そこには、ポジティブで軽やかな感情だけを想定している空気がある。
だが、本来のワクワクはそんなに片方の色だけではない。成長や変化の入り口にあるワクワクは、必ずと言っていいほど怖さを伴う。自分の中の何かが「これは今までの延長線上ではない」と感知している。
安全地帯の中で感じる心地よい刺激とは違う。背筋を伸ばし、呼吸を少し浅くし、心拍を早める種類のワクワクだ。
■ 森の中の洞穴
子どものころ、行ってはいけないと何度も言われた森があったとする。理由は説明されなかったか、あるいは「危ないから」の一言で終わったかもしれない。それでも、森の境界線はいつも頭の片隅に残っていた。
ある日、ほんの少し足を踏み入れる。光の届きにくい奥へ進むと、そこにぽっかりと洞穴が口を開けている。中は暗く、何が潜んでいるか分からない。空気はひんやりと湿っていて、外よりも静かだ。
恐ろしさが先に来るのに、目が離せない。近づきたくなる。このときの感覚こそ、“怖さ”と“惹かれ”が同居したワクワクだ。引き返す理由はいくらでも浮かぶのに、なぜかその場に立ち尽くしてしまう。
■ 慎重さが同居する理由
慎重さは、前進を止めるためだけにあるわけではない。脳が未知を検知し、感覚を研ぎ澄まし、注意を集中させている証拠でもある。恐怖の裏には、行動を精密にするための集中力が潜んでいる。
だから、慎重さは敵ではない。むしろ、この感覚があるときこそ、境界線をまたぐ価値があることを示している。成長の入口には、多くの場合、この“怖さを含んだワクワク”が置かれている。
Vol.1|アプローチ–アボイダンス葛藤とは何か
— 近づきたいのに避けたくなる心理構造 -
■ 森の奥で立ち止まる理由
Vol.1で描いた「行ってはいけない森」と、その奥にある洞穴。あのとき足が止まったのは、単なる恐怖ではない。一歩進めば何かが変わると、無意識に知っているからである。
この感覚には名前がある。心理学では「アプローチ–アボイダンス葛藤」と呼ぶ。
■ アプローチ–アボイダンス葛藤とは
心理学者クルト・レヴィンが提唱した、心理的な葛藤のひとつ。ひとつの対象に対して「近づきたい気持ち」と「避けたい気持ち」が同時に存在する状態を指す。
- アプローチ:やりたい・欲しい・関わりたいという欲求。
- アボイダンス:怖い・危険・失敗したくないという回避欲求。
たとえば…
- 興味のある仕事に応募したいが、自分には荷が重い気がする。
- 大勢の前で話したいが、失敗したら恥ずかしい。
- 誰かに好意を伝えたいが、拒絶されたら怖い。
■ なぜ「本当のワクワク」なのか
安全圏で感じる“快”や“楽”とは違い、アプローチ–アボイダンス葛藤が生じる瞬間には、成長や変化の可能性が潜んでいる。そのときのドキドキや胸のざわめきこそ、「怖いけど惹かれるワクワク」の正体である。
- ただ楽しいだけのワクワク:消費的で慣れやすい
- 葛藤を含んだワクワク:成長や変容を促す
■ 森と洞穴に重ねてみる
森の入り口では、まだ景色も明るく、恐怖は小さい。
洞穴が見える距離に近づくと、好奇心が膨らむ一方で、暗闇の奥を想像して不安が強まる。
そして、洞穴の前に立った瞬間、心臓が大きく脈打つ。そのとき感じるワクワクは、リスクと魅力の両方を含んだ、濃い体験になる。
■ 心理構造のイメージ
- 距離が遠い
安全だが、刺激も変化も少ない。 - 距離が近づく
アプローチ欲求が増し、ワクワク感が高まる。 - 境界を越える直前
アボイダンス欲求が急激に高まり、不安や恐怖が混ざる。 - 踏み出す
リスクと魅力の両方を含んだ濃い体験になる。
■ 実践的な見分け方
- 少し怖さが混ざっているか?
- その怖さの向こうに、自分が望む変化や達成があるか?
- 避ける理由が「危険そのもの」ではなく「失敗や恥」に関するものか?
これらが当てはまるなら、それは「本物のワクワク」ゾーンに入っている可能性が高い。
このVol.1で「森の洞穴の感覚」が心理学的に裏付けられた。
次はVol.2で、この境界線を越えるための具体的な手順を整理していく。
Vol.2|境界線を越える実践ステップ
— 怖さを持ったまま進む方法 -
■ 境界線の前で起こること
アプローチ–アボイダンス葛藤は、距離が近づくほど回避欲求が強まる構造を持つ。森の洞穴に例えるなら、入り口までの道は歩けても、洞穴の前で足がすくむ。
これは意思の弱さではなく、脳の仕組みによる自然な反応である。だから、恐怖を「なくす」のではなく、「持ったまま進む方法」を持つことが重要になる。
■ ステップ1|行きたい理由と避けたい理由を書く
紙やノートに2つの欄をつくり、それぞれに理由を3つずつ書く。
- 行きたい理由:やりたい・惹かれる・得られるもの。
- 避けたい理由:怖い・不安・失敗したくない。
書き出すことで、感情が漠然とした霧から輪郭のある対象に変わる。
■ ステップ2|許せるリスクを決める
「最悪、これだけは失っても大丈夫」という上限を事前に決める。
例:
- 最大2時間
- 交通費3000円
- 反応がなくてもOK
この範囲をあらかじめ設定すると、踏み出す際の心理的負担が軽くなる。
■ ステップ3|最小の一歩を決める
いきなり本番に飛び込むのではなく、15分以内でできる最小単位に行動を縮める。
例:
- プレゼンの見出しだけ作る
- 話す相手を1人だけ決める
- 必要な道具を机の上に置く
小さな一歩は、洞穴の中に足先だけ入れるようなもの。
全身で飛び込むよりも、圧倒的にリスクが低い。
■ ステップ4|実行するタイミングを固定する
「もし〇〇になったら、△△する」という形で予定を固定する。
これは“実装意図”と呼ばれ、迷う時間を減らす効果がある。
例:
- 明日の朝8時になったら、ノートを開く
- 昼休みになったら、企画書のタイトルを書く
■ ステップ5|身体を整えてから始める
開始直前は呼吸が浅くなりがちだ。
吸う4秒・吐く6秒の呼吸を3回繰り返すだけで、覚醒状態を落ち着けられる。
もし誰かと場を共有しているなら、このとき短く自分の状態を言葉にしておく。
- 「少し緊張してますが、楽しみです」
- 「今日は試す気持ちでやってみます」
こうしたメタコミュニケーションは、相手との間に安心感を生み、場全体を整える効果がある。
■ ステップ6|振り返る
終わったら、やってよかったことと気づきを1つずつ書く。
次回の自分が、より少ない迷いで境界線を越えられるようになる。
■ ワークシート形式(記入用)
- 挑戦テーマ:
────────────────────────
- 行きたい理由(3つ)
1.
2.
3.
- 避けたい理由(3つ)
1.
2.
3.
- 許せるリスク(時間/お金/評判など)
────────────────────────
- 最小ステップ(15分以内でできること)
────────────────────────
- 実行タイミング(もし~になったら、~する)
────────────────────────
- 呼吸で整える(吸う4秒/吐く6秒 × 3回)
※誰かと場を共有しているときは、メタコミュニケーション - 振り返り
やってよかったこと:
気づいたこと:
このVol.2で、洞穴の前で立ち尽くす時間を短くし、「怖さを持ったまま進む」具体策が揃った。
Vol.3では、この経験をどう日常や仕事に統合し、習慣化するかを扱うことができる。
Vol.3|日常への統合と習慣化
— 小さな境界線を越える練 -
■ 一度きりの挑戦で終わらせない
怖さを含んだワクワクは、単発で終えると「たまたま頑張れた体験」にとどまる。重要なのは、この感覚を日常の選択や行動に繰り返し組み込むこと。
それによって、境界線を越えることが特別な出来事ではなく、自然な習慣へと変わっていく。
■ 「小さな境界線」を日常に置く
習慣化の鍵は、毎日の中に小さな境界線をあえて作ること。
例:
- 普段なら声をかけない相手に挨拶をしてみる
- 会議で一度だけ意見を言ってみる
- 行ったことのない店に入ってみる
これらは洞穴の前に立つ練習のようなもの。小さな境界線を越える経験が積み重なると、大きな挑戦の前でも身体が動きやすくなる。
■ 変化を感じ取るセンサーを育てる
ワクワクと怖さが同居する瞬間は、日常に何度も現れている。ただ、ほとんどは見過ごされる。
「少し胸がざわつく」「背筋が伸びる」などの身体のサインを意識的に拾うことで、その瞬間を逃さなくなる。
■ 振り返りの習慣を持つ
境界線を越えたあとは、必ず短い振り返りを行う。
- 何がうまくいったか
- 何が予想外だったか
- 次はどうするか
この記録が積み重なると、自分にとっての“本物のワクワク”の条件が見えてくる。
■「挑戦の再現性」を持つ
挑戦は偶然の産物ではない。Vol.2で紹介したステップを、自分の生活リズムに合わせてカスタマイズし、同じ手順で繰り返す。これによって、境界線を越える行動が再現可能になる。
■ 習慣化の終着点
最終的な目標は、「怖さを含んだワクワク」を感じたときに、自然と一歩が出る状態。
そこでは、恐怖は消えてはいないが、行動を止める理由にはならない。むしろ、その感覚が「今が行くときだ」という合図になる。
このVol.3で、「境界線を越える」という行為が一度きりではなく、日常の一部になる道筋ができた。
Vol.4では、この習慣が人生や仕事にどんな変化をもたらすのか、長期的な視点から掘り下げられる。
Vol.4|長期的な変化と影響
— 境界線が移動し、景色が変わる -
■ 境界線が移動する
最初は遠く感じていた境界線も、繰り返し越えるうちに位置が変わる。かつては洞穴の前に立つだけで精一杯だったのに、いまは中に入り、奥を探索できるようになる。
この変化は、外からは劇的には見えないが、本人の体感としては確実に広がりを感じる。
■ 自己効力感の積み上げ
境界線を越える行動を重ねると、「自分はやれる」という感覚が強まる。これは一度の大成功よりも、小さな成功の積み重ねから生まれる。自己効力感が高まると、新しい挑戦を前にしたときの初動が早くなる。
■ リスクの捉え方が変わる
かつては「危ない」と感じて避けていたことも、経験を重ねることで「工夫すれば可能」と捉えられるようになる。これは恐怖心がなくなるのではなく、恐怖に含まれる情報を冷静に扱えるようになる変化である。
■ 周囲への影響
怖さを含んだ挑戦を繰り返す姿は、周囲にも伝染する。
同僚や仲間が、あなたの行動をきっかけに自分の境界線に向き合うこともある。挑戦は個人だけでなく、チームやコミュニティにも波及する。
■ 長期的な視点での報酬
- 予想外の機会や人との出会い
- 大きな挑戦に向けた準備が整う
- 自分なりの判断軸が明確になる
これらは、日常の中で境界線を越え続けた人だけが手にできる長期的な報酬である。
■ 変化は静かに積もる
怖さを含んだワクワクを追い続けても、日々の変化は小さい。
だが、振り返ったとき、その積み重ねが景色を一変させていることに気づく。
境界線は過去の自分の中にしかなくなり、未知は“慣れ親しんだ訪問先”になる。
このVol.4で、長期的な視点から見た「怖さを含んだワクワク」の影響が整理できた。
Vol.5では、この全シリーズをまとめ、「読者が次の一歩を選びやすくする結び」を作ることができる。
Vol.5|まとめと次の一歩
— 今、胸がざわつく出来事から始める -
■ ワクワクの再定義
世の中で言われる「ワクワクすることをしよう」は、しばしば安心できる範囲での楽しさに留まる。だが、本当のワクワクは違う。
そこには、怖さと惹かれが同居し、背筋を伸ばし、呼吸を浅くさせるような緊張感がある。その感覚は、成長や変化の境界線に立っている証である。
■ Vol.1〜5の振り返り
- Vol.1:怖さを含んだワクワクの感覚
- Vol.2:心理学でいうアプローチ–アボイダンス葛藤
- Vol.3:境界線を越えるための具体ステップ
- Vol.4:小さな境界線を日常に置き、習慣化する方法
- Vol.5:長期的に積み上がる変化と、その影響
この流れは、ただ知識を得るだけでなく、実際の行動に結びつけるための道筋になっている。
■ 次の一歩の選び方
- 小さな境界線を探す
普段なら避けるけど、少し気になることを一つ選ぶ。 - 行きたい理由と避けたい理由を3つずつ書く
頭の中の感情を紙に出す。 - 最小ステップに縮めて実行する
15分でできる形にして、予定を固定する。
この一連の動きを、一度だけでなく何度も繰り返すことで、「怖さを含んだワクワク」は特別な挑戦ではなく日常の一部になる。
■ 結び
怖さを消す必要はない。
むしろ、その怖さがあってこそ、得られる景色や感覚がある。
もし今、胸の奥が少しざわつく出来事があるなら、それは合図かもしれない。
その一歩が、未来の自分の輪郭を静かに変えていく。
怖さを含んだワクワクは、行動に移して初めて意味を持ちます。
そのための具体的な手順を一枚にまとめた「アプローチ–アボイダンス葛藤ワークシート」をご用意しました。
ダウンロードして、日常に“小さな境界線”を置く習慣を始めましょう。
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