《 まれびとの問い 》
- 終わる前に、“ひと”に還る -

プロローグ:
誰かの終わりに、ふいに立ち会ってしまうことがある。決して望んだわけでも、導いたわけでもない。しかし、気づけば“最後の問い”を置いてしまっている。そんな場面が、これまで何度かあった。
怒号の先、沈黙の奥、涙の手前。その人が「ひと」に還っていく直前に、何かがふっと変わる瞬間に立ち会った記録。
これは、名前のない役割を生きてしまった者の、静かな問いの物語。
はじまりの問い
なんかわからんけど──
“引導を渡す”役割の人って、いるよね?
その人が現れると、場の空気が変わる。
それまでぐずぐずと続いていた何かが、ふっと終わりに向かって動き出す。
本人にそのつもりがあるかは関係ない。
ただ、そこに「いる」というだけで、何かが終わってしまうような存在。
でも、そんな人は決して“終わらせるために来た”わけじゃない。
怒りでも、正しさでも、使命感でもなく、
ただ、終わりの近くに“いてしまった”ということ。
気づけば、自分がそんな立場に立っていることがある。
家族でもなく、当事者でもない。
それなのに、なぜかその人の「最後の問い」に関わってしまう。
名前を呼ばれたり、怒りをぶつけられたり、
謝罪の言葉を受け取ったりしながら、
どうして自分がここにいるんだろうと、心のどこかで思っている。
“まれびと”という言葉がある。
外から来て、場を揺らし、
なにかを起こして、また去っていく存在。
神でも救世主でもなく、
ただ、誰かが変わる“前後”に現れてしまう存在。
自分の人生を振り返ると、
そんなまれびとのような時間が、いくつもある。
それは他人の人生の節目に、
ほんの少しだけ触れてしまった記憶たちだ。
Vol.1|別れの扉に立つ
■ 「もう一緒にはいられない」
あれは、ある夜のことだった。
とても大切な友人の家族──そのお母さんと娘さんが、突然うちに駆け込んできた。
二人とも顔をこわばらせ、震えていた。
「もう一緒にはいられないの」
お母さんが口を開いた。
声は淡々としていたけれど、何度も自分に言い聞かせた末にやっと口にできた言葉だった。
事情を聞くと、どうやらど主人は、仕事を失ってから生活が一変したらしい。
お金が減っていく中で機嫌が悪くなり、家族に当たり散らすようになった。
そしてある日、ヤケになって近所のスーパーでビールとつまみを万引きし、捕まった。
──もう限界だ。
そう言って、彼女たちは泣きながら話していた。
彼らは正式に婚姻関係を結んでいなかった。
それでも長年一緒に暮らしてきた時間があって、家族と呼ぶには充分だった。
その関係を、終わらせたい。
これからは別々に暮らしたい、と二人は決意していた。
私はただ静かに話を聞いていた。
当時の私にできるのは、それくらいだった。
■ 15キロ、自転車でやってきた父親
そんな話をしていた最中、玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、そこには──
彼女たちが逃げてきた相手、つまり“お父さん”が立っていた。
なんと、15キロも離れた場所から、75歳の彼が自転車を漕いでやってきたという。
じりじりと日差しの照りつける夏の昼間だった。
その姿を見たとき、驚きよりも先に、胸の奥に何かがざわめいた。
彼は、ドアフォン越しに娘を呼び出し、必死に何かを伝えようとしていた。
ただ、怒っていた。感情を制御できていなかった。
話のすべてが、自分の言い分だけで埋め尽くされていた。
娘さんはおそるおそる、しかししっかりと、
「もう一緒に暮らせない」と繰り返していた。
理由も、気持ちも、ちゃんと伝えていた。
でも、父親の耳には届かなかった。
■ 境界に立つ言葉
あまりにも噛み合わないやり取りが続いていた。
母親と娘の言葉は、父親の耳には届かなかった。
怒り、言い訳、自分の正しさばかりをまくしたてていた。
私は途中でドアフォンに近づき、
「ちょっと私が話す」と、娘に言って代わった。
画面の向こうで、彼はまだ興奮していた。
「出てこいよ!なんで逃げるんだ!」
「家族だろうが!俺がどんな思いでやってきたと思ってるんだよ!」
怒鳴り声というより、もう叫びに近かった。
何かを伝えようとしているというより、
「どうにもならない」ものに追い詰められているようだった。
私は、静かに話しかけた。
「お父さん、落ち着いて聞いてください。
今、お母さんも娘さんも、本当に苦しい思いをしてるんです。
怒鳴られたり、責められたりしながらも、ずっと我慢してきた。
でも、それにも限界がある。だから、家を出たんです」
「ふざけるなよ、限界ってなんだよ!」
「こっちはどれだけ苦労してると思ってるんだ。
誰も助けてくれない、全部この社会が悪いんだ!」
酔っているせいもあって全く聞く耳を持たなかった。
彼の声はどんどん大きくなり、
その勢いのまま、今度は私に向かって言ってきた。
「お前だって、俺に世話になっただろうが!
それを仇で返すのか!?お前まで俺を見捨てるのか!」
その言葉に、私の中で何かが音を立てた。
「そんなこと関係ないだろ!」
私は、抑えていた声を強めた。
怒りというより、悲しさに突き動かされるように。
「あんたが昔どれだけ誰かに何かしてきたかなんて、今関係ない。
今、目の前で苦しんでる人がいるんだよ!
自分の辛さばかりを理由にして、人を傷つけていいわけがないだろう!」
そして、少し間を置いて、
できるだけ静かに、もう一度語りかけた。
「……お父さん、頼むから、悲しい思いをさせないでよ。
あんなにお母さんも娘さんも、あなたを支えてきたじゃん。
万引きして捕まったとき、警察に引き取りにきてくれたの誰よ?
仕事がなくなって苦しくなったのは分かるけど、
それを誰かのせいにしてぶつけて、何が残るの?」
「お母さんのせいでも、娘さんのせいでもない。
責める人なんて、どこにもいなかった。
ただ……もう一緒にいるのがつらい。それだけなんだわ」
■ 渡した引導と、帰っていく背中
しばらく沈黙があった後、彼はこう言った。
「◯◯(私の名前)、悪かった。妻と娘にも、そう伝えてくれ」
それだけ言って、彼は画面の外へと歩いていった。
私たちは、モニター越しにその背中を見送った。
ゆっくりと、自転車にまたがって、
真夏の道をゆっくりと小さくなって走っていった。
その背中には、怒りでも、敗北でもなく、
何かを静かに“受け容れた”気配があった。
それ以降、もう会うことはなかった。
あれは、誰かの人生のひと区切りに立ち会った夜だったと思う。
何かを決定づけたわけじゃない。
ただ、その人が「もうこれ以上は進めない」と思えるように、
少しだけ言葉を差し出しただけだった。
だけど、その言葉が、
「別れ」という名の小さな舟を、静かに岸から離したのかもしれない。
Vol.2|与えること、見送ること
■ 万全だという思い込み
昔、ある青年とほぼ毎日のように一緒に過ごしていたことがある。
彼とは、まだ会社を立ち上げる前からの付き合いだった。
家族というわけでもないし、友人というには深すぎる。
しかし、お互いの生活が近い場所で重なっていた。
一緒にメシを食い、一緒に過ごし、他愛のない話をして笑っていた。
会社を設立したとき、私は彼にこう声をかけた。
「うちの社員になりなよ」
うちの会社の仕組みは少し変わっていて、
自分で仕事をつくれば、その利益はほとんどそのまま本人のものになる。
だから、ベースの給与は決して多くなかった。
最低限生活できるくらいの金額。
でも、働き方は自由で、可能性は開かれていた。
住む場所も必要だったから、敷金を払ってあげた。
部屋も用意した。生活スペースも整えた。
彼が一歩を踏み出すのに、必要だと思えるものは全部渡したつもりだった。
■ 崩れゆく、日常のリズム
最初は、よかった。
毎日顔を合わせて、近況を話して、互いの動きが見えていた。
しかし、少しずつ私の生活が忙しくなっていった。
仕事も、プライベートも、想像以上に流れが速くなり、
気づけば、彼と毎日過ごす時間が自然と減っていった。
それでも、給与は毎月支払っていた。
生活は確保されている。
そう思っていた。
でも──
ある日、ふと「このままじゃまずいな」と思った。
久しぶりに連絡を入れた。
……が、返信がない。
何度かけても出ない。折り返しもない。
胸騒ぎがして、彼の家まで行くことにした。
駐車場には車がない。
部屋の明かりもついていない。
数時間、車の中で待ち続けた。
夕方近くになって、彼が帰ってきた。
手には、ほかほか弁当と、レンタルしてきたビデオを持っていた──
■ 跪いた彼、蹴ってしまった私
私は車から出て、彼の名前を大きな声で呼んだ。
彼は振り返った瞬間、固まった。
そのまま、何も言わずに、ゆっくりと跪き、
「ごめんなさい、ごめんなさい」と、泣きながら謝り続けた。
私は、怒りというより、悲しさのなかにいた。
何かが壊れてしまったと、直感した。
気づけば、跪いている彼を蹴っていた。
そのあと、私たちは無言のまま、部屋へ入った。
しばらくして、彼がぽつぽつと話し始めた。
「何をしていいのか、わからなかった」
「朝起きられなくて、夕方まで寝て……
弁当を買って、ホラー映画を借りて、朝までビデオ観て……
それを10日くらい、ずっと」
彼の生活は、音もなく崩れていた。
誰に怒鳴られることもなく、
誰に責められることもなく…
■ 与えたもの、壊したもの
そのとき、胸の奥を締めつけたのは、
「なんでこんなことになったんだ」という彼への怒りじゃなかった。
私が、彼の人生を狂わせたのかもしれない──
そう思った。
彼は、きっと“自分で動ける人”じゃなかった。
それなのに、自由という名の可能性を与えてしまった。
道のないところに「お前なら行ける」と放り出してしまった。
私の善意が、彼を孤独にしたのかもしれなかった。
「もう、この家を引き払おう。
実家に戻って、一度リセットした方がいいと思う」
それが彼にとっての救いだったのか、追い詰めだったのか、今でもわからない。
でも、それが彼の生活を終わらせる合図になった。
■ 終わらせず、背中を見送る
与えることと、見送ること。
それは同じ線上にあるけれど、
その交差点に立つと、いつも後味の悪さが残る。
本当はもっと一緒にいたかった。
もっと近くで支えたかった。
でも、それができなかった。
だから、「終わらせる」しかなかった。
そう見えただけかもしれない。
だけど、本当はきっと──
彼の歩みが止まっていたことに、私が気づいてしまった。
そして、そのままじゃ彼自身が壊れてしまうと、はっきり思ってしまった。
だから、手放した。
いや、
きっとあれは、“引き渡した”のだと思う。
彼が再び、自分の人生を生き直す場所へ。
Vol.3|ひと月あまりのやさしさ
■ 訪れた限界
私の知らないところで、限界は訪れていた。
母が亡くなって、父は姉と一緒に暮らすようになった。
それから十年──
姉は出戻りで、4人の子どもと、すでに孫もいる状態だった。
家はすでに“姉の家庭”であり、父はその中に迎え入れられるかたちでの同居だった。
しかし、父は年を重ねるごとに身体がいうことをきかなくなり、
できないことが増えていく現実に苛立ちを募らせていた。
そんななかで、姉は、母として、祖母として、そして“家の主”として、
毎日を支え続けていた。
その背中が、限界に近づいていたことを──
私は、電話越しの声で、初めて知った。
■ 翌日の父からの電話
姉からの電話を切ってすぐ、今度は父から電話がかかってきた。
内容は、姉への愚痴だった。
「俺の言うことを全然聞かない」「俺を労らない」──
そんなことを繰り返していた。
ある程度聞いてから、私は話の方向を変えた。
「あのさ。
姉貴が一緒に住んでくれなかったら、あんた今ごろどうなってたと思う?」
父は黙った。
「家のことも、食事も、病院も、ぜんぶ姉貴がやってたよね?
もう“家の主”はあの人だよ。
あんたは、立派に生きてきたんだから、
そろそろ“ご隠居”でいいじゃん。
守ってもらう立場なんだから、その自覚はちゃんと持ったほうがいいんじゃないの?」
「あんたは、姉貴に“生かされてる”ってことだと思うよ?」
受話器の向こうが、すっと静かになった。
そして──絞るような声で、父が言った。
「……そうだな。確かに◯◯(姉の名前)のおかげで、生きてるわ」
その一言を最後に、電話は切れた。
■ 一言が、父を変えた
それから間もなく、体調は急速に悪化し、父は入院した。
そして、1ヶ月後──父は亡くなった。
葬儀の朝、姉がぽつりと言った。
「あの日、私、お父さんにめちゃくちゃひどいこと言っちゃった。
『そんなに嫌なら、老人ホームでもどこでも入ってくれた方が、こっちもせいせいするわ!』って」
そして、それを「悔い」として抱えているようだった。
でも、そのあと姉が語った父の変化は、まるで別人のようだった。
「その翌日から急に、お父さん優しくなったんだよね。
誰に対しても、ちゃんと“ありがとう”って言うようになってさ。
前みたいに、いちいち怒鳴ったりしなくなった。
孫もひ孫も、“このおじいちゃんとなら一緒に暮らしたい”って言ってたくらいだったのに──
お父さんを弱らせたのも、死んじゃったのも私のせいなんだよね…」
■ 「あの変化、実は私が電話で……」
姉が自分を責めているように見えたから、
私はあの日のことを話した。
姉から電話があったそのすぐ後、父からも電話が来て──
そこで父に何を伝えたのか。どんな言葉を投げかけたのか。
姉はしばらく黙って聞いていた。
そして、静かに言った。
「やっぱり、あんたが何か言ってくれたんだね。
……お父さん、本当に変わったもん。
最後の一ヶ月だけだったけど、
あんなに“優しい”お父さん、初めて見たよ」
■ 最期の姿は、誰の言葉で決まるのか?
父は、最期、“何になった”のだろう。
姉の怒りがきっかけだったのかもしれないし、
孫の存在が影響していたのかもしれない。
私が父に問いかけた
「本当に、生かされていることに気づいてる?」
この言葉が、父の中の何かを“止めた”のかもしれない。
引導というには、あまりに控えめで、あまりにささやかだった。
でも、確かにあれは、父にとっての「終わり方」を決める言葉だった。
Vol.4|“まれびと”という名前のない存在
Vol.4|“まれびと”という
名前のない存在
“引導を渡す”という言葉は、どこか冷たい響きをもっている。
まるで誰かの人生の終わりに、線を引くようなこと。
でも、私がこれまで立ち会ってきた場面を思い返すと、
そんな「終わらせる」という明確な意図があったわけではなかった。
気づけば、そうなっていた。
語られなかった言葉に耳を傾け、
伝えられなかった思いを代わりに伝え、
ただ、その場にいるだけだった。
しかし、なぜか──
その後、物語は終わっていく。
誰かが、自分の思い通りにならない現実に逆上していた。
誰かが、跪いて謝りながら何もできずにいた。
誰かが、怒りの中で崩れかけていた。
そのとき、私は何をしていただろう。
説得したわけじゃない。導いたつもりもない。
ただ、“これ以上は進めないかもしれない”という空気のなかに、
一つの問いを置いた──それだけだった。
まれびと、という言葉がある。
常には存在しない。
でも、ある時ふいに現れて、場を揺らし、
何かを終わらせたり、始めさせたりする。
その存在は、何かを成し遂げるわけじゃない。
ただ、“触れてしまう”のだ。
終わりの手前で揺れている誰かの、
声にならなかった決意に。
私自身が、そんな存在だったのかどうかはわからない。
でも、少なくともあの瞬間、
私の言葉が誰かの「終わり方」を変えたのだとしたら──
それは、まれびとの仕事だったのかもしれない。
誰かを見送ること。
関係を手放すこと。
優しさのないまま、終わってしまうこと。
そんな出来事のなかに、
最後のほんの一滴だけ、
“その人が人に還る瞬間”が訪れることがある。
そこに立ち会うこと。
ただ、それだけが、自分に託されてきた役割だったのかもしれない。
名もないまれびととして、
問いを一つだけ残して、
また次の場所へと離れていく──
そんな役割が、世の中にはあるのだと、
いまなら静かに思える。