経営哲学・知の実験室|”銀座スコーレ”上野テントウシャ

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株式会社"銀座スコーレ"
上野テントウシャ

《 無自覚の代理戦争 》

- 「誰かのため」が「自分のため」に変わるとき -

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プロローグ:喪失の直前

時代の流れの中で、数えきれないほどの仕事や営みが静かに姿を消してきた。
牛乳配達や町の電器屋、銭湯の灯が消えかけたとき、私たちは初めて「残したい」「守らなければ」と声を上げる。
気づくのは、いつも手遅れになってからだ。

この“喪失への反応”には、人間的な温度がある。
しかし、そこで私たちは本当にその営みそのものを惜しんでいるのだろうか。
それとも、自分が放置してきた時間をいま取り戻そうとしているだけなのか。

嘆きや善意の奥には、自分の理想や願いを重ねた無自覚な心理が潜んでいる。
本コラムは、その「誰かのため」が「自分のため」に変わる瞬間――
すなわち「無自覚の代理戦争」の構造と、
それを超えて現実に寄り添う次の一歩を探る。

Vol.0|喪失の直前

— 気づくのは、いつも手遅れのとき -

これまで、時代の移り変わりとともに、数えきれないほどの仕事や営みが姿を変えてきた。
牛乳配達や町の電器屋、銭湯などがなくなっていくとき、多くの人は日常の流れの中でそれを見過ごしてきた。

そして、いざその灯が消えかけたときになって、「残したい」「守らなければ」と声を上げる。なくなっていくことに気づくのは、いつも手遅れになってからだ。
その“喪失への反応”には、人間らしい温度がある。

問題は、そこで何を見ているかだ。私たちは本当に、その営みそのものを惜しんでいるのか。それとも、自分が放置してきた時間の長さを、今になって取り戻そうとしているだけなのか。

Vol.1|嘆きの重なり

— 感情は構造を覆い隠す -

人は、何かが失われそうになると声を上げる。

それは自然な反応であり、共感を呼ぶ。
ただ、その感情の背後には、見過ごしてきた構造があることが少なくない。

嘆きの背景

街の本屋や商店街の衰退に対して、私たちは「悲しい」と思う。文化やコミュニティの象徴として、大切にしたい気持ちがそこにある。

ただ、嘆きだけに注目すると、変化を生む構造的な要素が見えなくなる。

街の本屋を例にすると、業態の形を左右する要素は複雑だ。出版社と書店をつなぐ取次の仕組みがあり、大型書店やネット書店の台頭もある。

消費者の購買行動や情報取得の手段も変わり続けている。こうした複数の要素が絡み合い、個々の本屋の現実を形づくっている。

さらに、地域経済や人口動態の変化も影響する。家賃や都市計画のあり方も、店の存続に大きく関わる。

一見「衰退している」と見える状況も、長いスパンで見れば、時代の流れに沿った必然の変化とも言える。

嘆きと心理の層

嘆きは、過ぎ去った風景や人々の営みへの郷愁から生まれる。同時に、「自分ならどうするだろう」という視点が無意識に混ざる。

「残したい」「守らなければ」と思うその奥には、自分の理想や願いを重ねている心理が潜んでいることがある。こうした心理構造は自然で、人間らしい。

ただ、構造を直視せず感情だけで行動すると、現実との乖離が生まれる。例えば、「復活させたい」と声を上げても、流通や消費の現実を理解しなければ、行動は空回りするか、当事者不在のプロジェクトに終わる。

内省の視点

嘆きの感情は、私たち自身を映す鏡でもある。何を失ったのか、何を守ろうとしているのか。自分の無自覚な願いを知ることで、初めて現実の構造と向き合うことができる。

人は、なくなる直前にだけ反応することが多い。長年見過ごしてきたことも、手遅れの直前に初めて意識される。そのとき、嘆きは本当に「対象への想い」なのか、それとも「自分の時間を取り戻そうとする行為」なのかが問われる。

自分自身の感情を問い直すこと。嘆きの奥に潜む心理と構造を見極めること。この内省のプロセスこそが、次の一歩を形作る鍵になる。

Vol.2|外部者の「復興物語」

— 善意は時に自己物語になる -

街の商店街や小さな本屋に、外部の人が介入する光景を目にすることがある。「ここを盛り上げたい」「V字回復させたい」と意気込む声が聞こえてくる。その熱意は、善意から生まれるものだ。

ただ、立ち止まって考えると、そこには微妙な距離感の問題が潜んでいる。

過去と現在のギャップ

多くの街が衰退したのは、30年前のことだ。当時、地元の人々や経営者たちは、日々の暮らしと仕事の中で限界や課題を自ら経験し、対処していた。

今、シャッターが下りた状態は、ある意味で安定でもある。そこに外部の声が加わると、現状の理解よりも「復興物語」の方が前面に出てしまう。

代理戦争の心理

外部者の介入は、善意や使命感から始まることが多い。ただ、その行動は知らず知らずのうちに自分の物語を対象に重ね、「私がやってあげる」という構造になりやすい。

当事者の現実を十分に理解していないまま、自分の成功体験や理想像を押し付けてしまう。この心理を冷静に見ると、いわゆる“代理戦争”のエッセンスが浮かび上がる。

善意でありながら、対象の声よりも自己実現が優先される瞬間がある。そこに気づかず、熱意のまま行動してしまうと、支援ではなく干渉になりかねない。

■ 内省の問い
ここで問うべきは、外部者である自分自身だ。
私たちは本当に、相手のために動いているだろうか。
それとも、自分の願いや理想を重ねて、
対象の上に自分の物語を置いてしまってはいないだろうか。

支援や介入の前に必要なのは、現場の構造や歴史を理解すること。
地元の人々の時間軸や日常、既存の安定を踏まえた上で、
行動や提案の意味を問い直すことだ。
それを怠れば、善意はそのまま“自己物語の実現”になってしまう。

Vol.3|内省と次の一歩

— 善意の向こうにあるもの -

街の本屋や小さな商店に足を運ぶと、現場の空気は独特だ。店主の視線や棚の並び、街角の人々の行き交いが重なり、そこで日々が形づくられている。

そこには、単純な衰退や復活の物語では語れない、日常の厚みがある。

現場を知ることの意味

外部者がいくらアイデアやプランを持ち込んでも、現場の構造や制約を理解していなければ意味は限定的だ。書店の場合、流通の仕組みや取次との関係、商品ラインナップの選択、地域の読書文化まで複雑な網が絡み合っている。

小さな変化が大きな影響を及ぼすこともあれば、些細な提案が届かない領域も存在する。現場を知ることは、ただ観察するだけではなく、自分の期待や理想を一度脇に置き、現実の声に耳を傾ける行為だ。

そこから初めて、行動の方向性を見極めることができる。

自分の願いと現場の声

善意や熱意は自然な感情だが、無自覚にそれを押し付けると対象の主体性を奪うことになりかねない。自分が本当に支えたいのは「物」なのか、「人」なのか、それとも「自分の物語」を実現したいだけなのか。

この問いを内省すると、嘆きや善意の奥に潜む心理構造が見えてくる。自分が何を守ろうとしているのか、何を取り戻したいと無意識に思っているのか。それを理解することが、次の一歩の質を決める。

次の一歩

内省を経た上での関わりは、静かで慎重だが、確かな力を持つ。現場の人と意見を交わし、状況を理解し、共に考えることが、その一歩になる。

小さな提案や行動が、長い時間をかけて意味を持つこともある。行動の前にまず内省し、そして現場と対話する。このプロセスを経ることで、善意は自己満足に終わらず、現実に沿った支援や共創へと変わる。

Vol.4|共に考える力

— 支援は対話から始まる -

街の本屋や小さな商店で、外部からの関わりが意味を持つのは、現場の声を受け止め、共に考える姿勢がある場合だ。単なる善意やアイデアの押し付けでは物語は生まれない。

共創の始まりは、静かで丁寧な対話から始まる。

対話の重み

訪問した書店で店主と話をすると、棚の一角や古い資料、日々の業務の話から、現場の制約と可能性が見えてくる。外から眺めていたときには見えなかった、微細な現実の網目に触れる瞬間だ。

その過程では、自分の理想や願いを一度脇に置く。「何をしたいか」ではなく「何が必要か」を理解することが、行動の質を変える。小さな提案や手助けが現場のリズムに沿った形で受け入れられるためには、この対話が欠かせない。

共創の視点

共創とは、成果物を作ることだけではない。現場と外部者が互いに考え、学び、試すプロセスそのものが価値を持つ。例えば、書店の棚の配置やイベントの企画、読者との交流の工夫など、ささやかな試みが長期的な変化につながることもある。

重要なのは、結果よりもプロセスに重きを置くことだ。現場の声を尊重しながら一歩ずつ進めることで、関わりは自然と共創へと育っていく。

内省を伴う行動

行動の前に必ず内省する。自分の思いや善意が対象の上に乗っていないか、自己実現のための行動になっていないかを問い直すことで、行動は自分本位ではなく現場に沿ったものになる。

共に考える力は、外部者が現場と関わる際の最も大切な要素だ。小さな歩みでも、対話と内省を重ねることで、善意は自己満足に終わらず、現実に寄り添う支援へと変わる。

Vol.5|喪失の先に立つ

— 変化に向き合う視線 -

変化は常に訪れる。街の本屋や商店街だけでなく、仕事や暮らしのあらゆる領域で、過去のかたちが消え、新しい現実が生まれていく。

その前に立つとき、私たちは何をすることができるのか。

失われることの理解

喪失の直前に声を上げる人は多い。ただ、その前に放置してきた時間があったことを忘れやすい。変化を前にして初めて意識する感情は、自分自身の無自覚を映す鏡でもある。

失われるものの価値を思うだけでは、構造は変わらない。まず必要なのは、現実をありのままに理解することだ。流通や経済条件、地域の文化、消費者の行動など、複雑に絡む構造を把握することで、初めて次の一歩が意味を持つ。

内省と問いかけ

善意や熱意を行動に変える前に、自分自身に問いかける。「これは本当に現場にとって必要なのか」「自己実現のための行動になっていないか」。この問い直しによって、行動は自分本位ではなく現場に沿ったものへと変わる。

共に考える力は、外部者が現場と関わる際の最も大切な要素だ。小さな歩みでも、対話と内省を重ねることで、善意は自己満足に終わらず、現実に寄り添う支援へと変わっていく。

エピローグ|総括

私たちは、このコラムで分析した「無自覚の代理戦争」の構造を認識し、内省という地道な一歩を踏み出す重要性を再確認した。だが、構造をどれほど深く理解し、内省を重ねたとしても、「善意」という感情そのものが持つ「誰かを救いたい」という純粋な衝動は、人間の根源的なエネルギーとして残り続ける。

その衝動は、時に構造的な理解を一気に超え、再び「自己物語」という名の強い引力を生み出す。だとすれば、私たちは「無自覚の代理戦争」という構造から、完全に自由になることは可能なのだろうか。

構造を理解し、内省を重ねた後でも湧き上がるその「強すぎる善意」のエネルギーを、私たちはどのようにして「自分のため」でも「現場のため」でもない、より大きな「共創の力」へと変えていけばいいのか。

そして、その「共創の力」が、過去の喪失を単に惜しむのではなく、「構造の更新」という形で次の時代の現実を創造し、誰かの「所有」にならずに在り続けることは可能なのか。

この「問いの余白」こそが、私たちが絶えず立ち戻るべき最も大切な備忘録となる。

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