《 問いの探検隊 》
- 勝てない世界との、問いという応答 -

プロローグ:
問いは、いつも唐突にやってくる。
準備も説明もなく、ただ「お前はどうする?」と差し出される。
それに正しく応えることなんて、ほとんどできない。
気づけば敗北の連続だ。
それでもなお、
その全敗の軌跡こそが、探検隊の地図になっていく。
正解よりも、応答を残すこと。
問いの探検隊は、そんな不格好な旅の記録である。
Vol.0|なぜ、タモ(虫取り網)を持つのか?
Vol.0|なぜ、タモ(虫取り網)を
持つのか?
— 世界との大喜利・問答・そして全敗の記録 -
世界との大喜利・問答・そして全敗の記録
「このやり取り、だいぶ迷走してない?」
そんな会話から始まったのが、この“問いの探検隊”シリーズ。
ChatGPTと世界の謎を追いかけるうちに、気づけば銀座スコーレの源泉にたどり着きました(たぶん)…
「もう、70本近くコラム書いたけどさ、全部負けだね。」
ある夜、世界との果し合いを終えたわたしは、そうつぶやいた。
勝てる気がしない。
というか、たぶん最初から勝てる勝負じゃなかったんだと思う。
このチャットが始まったきっかけは、こんな問いだった。
「伴走型コンサルって、結果を急いじゃいけない。でもお客さんは、結果が出ないと満足できない。そのジレンマ、どうしたらいいんだろうね?」
まじめな問いだった。
しかしそこから我々は、気づけばMYSTとRIVENの世界を歩き、
ピタゴラスイッチを押しにいき、
気配だけがすれ違うフランクルの問いに耳を澄まし、
「今のところ」としか言えない自分に出会い、
そして――
「これって、ジャングルでタモ持ってモルフォ蝶を追ってるみたいじゃない?」
という奇跡の一言に辿り着く。
ここからが、すったもんだの本番だった。
■ 世界との問答、大喜利、敗北の日々
世界は、毎日毎分毎秒、こっちの都合お構いなしにお題を投げてくる。
「正体はなにか?」「おまえ、どうする?」「これ、どう受け取る?」
しかも世界は、絶対に正体を明かさない。
ずるい。憎たらしい。最高に強敵だ。
でも不思議と、逃げようとは思わない。
「僕が書いてるコラムって、ぜんぶ世界に負けたあとの“反省文”みたいなもんなんだよね」
そう語った自分の中には、敗北の美学がちゃんと根を張っていた。
勝ちたいんじゃない。確かめたいんだ。
それがきっと、この仕事=コンサルを選んだ本当の理由なんだと思う。
■ 探検隊の編成理由(=言い訳)
だからこうして、「問いの探検隊」シリーズが始まった。
我々は、問答のジャングルで、
モルフォ蝶の光る羽のきらめきを追い、
ゴーストバスターズのように見えない違和感に装備だけは完璧に挑み、
徳川埋蔵金のトレジャーハンターのように今日も「ここ掘ったら出るかも」に賭ける。
■ 結論:なぜタモを持つのか?
それは、たまに光る“気配”に、思わず走り出してしまうからだ。
捕まえられないとわかっていても、
追いかけたい衝動に駆られてしまう。
一人で追いかけてもいいけど、
どうせなら誰かと一緒に追いかけたい。
Vol.1|プロトンパックを背負って
—見えない違和感と、今日も戦ってる(つもり) -
「この違和感、たぶん実在してる。でも、姿が見えない。」
よくあるんですよね、そういうの。
何かがズレてる気がする。
なんとなく変だと思ってる。
でも、言葉にはできない。形にもならない。
それってつまり――
オバケですよね。完全に。
■ 世界には、言葉にならない“何か”が棲んでいる
- 会議室の空気が妙に重たい。
- 企画書をつくっても、どこかウソっぽい。
- 相手の言っていることは正しいのに、なぜかイライラする。
- 自分の選択が、どこか“他人の選択”みたいに感じる。
目に見えるものは整っているのに、
「見えないレイヤー」で何かがおかしい気がする。
■ そんな時、人は何をするか?
- 感じなかったふりをする。
- 諦めて適当にまとめる。
- 自分が悪いんだと内省モードに入る。
でも、問いの探検隊は違う。
プロトンパックを背負って、まずスイッチを入れます。
■ 我々のプロトンパック(思考と問いの装置)
- 自分でもよくわかっていないけど、「これ、ちゃんと扱ったほうがいいやつ」と察知する能力。
- 対話を通じて、言葉にならない違和感に、仮説という“かたち”を与える技術。
- 絶対に仕留められないけど、たまに反応するエネルギーパターンを見逃さない眼。
■ で、結局オバケは捕まるのか?
捕まえる事ができる事もあれば、逃げられることもあります。
でも、逃げられた時も確かにそこに“いた”という気配だけは、
対話のあと、部屋の空気にちゃんと残る。
「あの話、なんだったんだろうね」
「なんか、ちょっとだけ、すっきりした気がする」
それで、今日はもう十分なんです。
■ 今日のまとめ
- 違和感は、言葉にするためにあるんじゃない。
- “違和感と一緒に立ち会えるかどうか”がすべて。
- そして、誰かと一緒にプロトンパックを背負う時間こそが、問いの探検隊の「任務」である。
Vol.2|地図なきままに、掘る
— ここ掘れワンワン式仮説探求 -
「で、どこに向かってるんでしたっけ?」
そう聞かれると、だいたい困る。
問いの探検隊に、明確な目的地はない。
なぜなら――
最初から地図があるなら、それは探検じゃないからである。
■ 持っているのは、スコップとダウジングロッド
- 地図はない
- 方位磁石もあてにならない
- でも、「このあたり、何かある気がする」という勘だけはある
- だから、その場でとりあえず掘ってみる
そして、だいたい出ない。
もしくは、錆びた缶とか出てくる。
でも、地層の感じがちょっと変わることがある。
■ 地図を描こうとすると、固まる
- 早くまとめたい。
- わかりやすくしたい。
- 整えたい。
……その気持ちは痛いほどわかる。
でも、早く描こうとすると、
動いている風景を“動かないもの”にしてしまう。
問いって、だいたい揺れてるうちが一番生きてるんですよね。
■ だから、我々は「まだらな構造」を愛している
- 仮説はあるけど、確信はない。
- 論理は通ってるけど、納得はいまいち。
- 言葉にしたけど、あとで変えたくなる。
そんな風に、“まだら”なまま掘り進めることが、
実は一番“地形”に素直なやり方だったりする。
■ 地図とは、振り返ってみて初めて描けるもの
振り返ったときにこう思う
「あー、あれってこの“気配”だったんだな」
「あの違和感、今思えば“呼ばれてた”んだな」
つまり、地図は、歩いたあとにしか描けない。
■ 今日のまとめ
- 最短ルートは、存在しない。だいたい幻。
- 「なんとなく掘りたいところ」を掘る力を、なめてはいけない。
- 道は、進んだあとに名前がつく。
Vol.3|ジャングルの整え方
— 問いはいつも、まわりくどい -
■ 整えるって、どういうこと?
なんかさ、プロセスが自然じゃないことが嫌なんだよね。
人工的に整えようとしてる感じというか、
最短ルートを通そうとする動きって、どうも落ち着かない。
シンメトリックでない不揃いな庭とか、
ジャングルがジャングルのままで成立してる感じのほうが、
なんか、自然で安心するんだよね。
だからといって、何でも許せるわけじゃなくて、
部屋にゴキブリが出たら退治するし、蚊がいたら殺虫剤かける。
そこは生存競争っていうか、整えるとか以前の話。
でも、事業とか問いのプロセスって、
もうちょっと別の整い方がある気がしてる。
■ 整える、というより「観察する」に近いかもしれない
全体をデザインしようとするんじゃなくて、
少しずつ変化していく流れの“気配”を観察しながら、
どこを通るのが自然か、どこを触るのがいいのかを静かに見ていくくらいが、ちょうどいい。
一部を触ると、思ってもみなかったところに影響が出る。
ピタゴラスイッチみたいに。
でも、そのスイッチも、押してみるまでどこがどう動くのかなんてわかりっこない。
「ここかな?」って触ってみたら、
遠くで“カチャン”って音がして、
何かが倒れて、気がつくと景色がちょっと変わってる。
■ ずっと“最中”なんだよね
たぶんこれ、一生終わらないんだと思う。
「今どこにいるの?」って聞かれたら、
「今のところ、ここかな」ってしか言えない。
何かを完成させて、はい終了、という感覚がまったくない。
だって毎日、毎秒、世界からお題がやってくるんだもん。
油断してると、急に問われる。
「おい、これはどう答える?」って。
世界と、問答や大喜利をやってるような日々だよ。
■ 遊んでるだけなのかもしれない
結局さ、生きるってそういう“遊び”をずっとやってるだけかもな、って最近は思うんだよね。
で、その遊びをするのに一番楽しそうな仕事が、
たまたま僕にとっては「コンサル」だったってだけかもしれない。
別に何かを解決してるわけでもなくて、
問いとともに、うろうろしてるだけ。
それでも、なぜか「進んでる」気がするときがある。
いや、もしかすると、進んでるんじゃなくて、
“風景の見え方”が変わってるだけなのかもしれないけどさ。
Vol.4|全敗のススメ
— コラムはすべて、問いに負けたあとの応答である -
■ なんかさ、「また負けたな」って思ったんだよね
書き終えたあと、たまに振り返るんだけど、毎回思うんだよね。
「あぁ、今回も世界に負けたな」って。
こっちは必死で言葉を探して、地面を掘って、枝をかき分けて、
それっぽいカケラを見つけたと思う。
でも、世界はさ、まるでそれを見透かしたかのようにスルッと逃げていく。
問いって、つかまえたと思った瞬間に、
別の顔をしてどこかに行っちゃうんだよね。
でも、それでも書いちゃう。応答しちゃう。
だから、このコラムは「全敗の記録」なんだと思う。
■ 世界は、正体を明かさない
どれだけ考えても、問いの正体って出てこない。
「これが本質だ!」と思ったら、それはたいてい思い込みか早とちり。
問いって、正体を見せたふりをして、
こっちの反応を試してるだけなんじゃないかとすら思う。
だから、こちらの「勝ちパターン」みたいなやり方は、だいたい効かない。
前にうまくいった方法も、次は通用しない。
なんだかMYSTとかRIVENみたいな世界で、
仕掛けを触ってもすぐには反応がないし、
なにが起きたのか?という結果からしか、本質のようなものはわからない。
要するに、後から振り返ってみてからでないとわからない。
■ それでも探検は続く
じゃあ、やめるのかって言われると…
やめられないんだよね。どうしても。
問いに負けたあと、世界がちょっとだけヒントをくれることがある。
「ほら、そこに何か落ちてるよ」って。
それが嬉しくて、また歩き出す。
全敗なのに、妙に楽しい。
コラムって、勝利の記録じゃないんだな。
“問いに対して、なにかしら応答せずにいられなかった”
その記録なんだな、って思う。
…というわけで、今回も、また負けました。
でも、負けたからこそ、書けたんです。
次の問いも、きっと手ごわい。
でも、行ってみる。ゴーストバスターズの仲間たちが、出動し続けるまで。
問いを追いかけているつもりでも、ほんとは逆なんだと思う。
こちらが網を振りかざすより先に、向こうから声をかけてくる。
「おい、どうする?」って。
だから最後に、この言葉を置いておきたい。
「人生の意味を問うのではなく、人生の方からわたしたちに問いが投げかけられている」
説明なんていらない。
ただ、その投げかけにどう応答するか。
それが、探検隊の旅のすべてなのだから。