”銀座スコーレ”上野テントウシャ

schole_logo_icon_80x80

"銀座スコーレ"上野テントウシャ

《 読みかえるこころ 》

Home / 関係性と対話のデザイン / 読みかえるこころ

プロローグ:

感情は、いつも正体を隠してやってくる。

不安とときめき、恐怖と興奮。
どれも同じように身体を震わせるのに、
私たちはそこに名前をつけたがる。

とはいえ、本当に“それ”は、不安だったのか?

この連載では、そんな問いを手がかりに、
身体と心のあいだにある微細な回路をたどってみる。

それは、感じたままを信じ込まず、
そっと“読みかえてみる”という試み。

ささやかな実験とともに、
「感じること」の奥を覗いていく旅のはじまりである。

※ご注意ください

ここで紹介している内容は、あくまで個人の体験をもとにした思考と試みのひとつです。
医学的な根拠や治療的な効能を保証するものではありません。

心臓や呼吸器、脳血管などに不安のある方、また通院中の方は無理をせず、専門医の判断を優先してください。

体はいつも、あなたに何かを伝えようとしています。
その声に、丁寧に耳を澄ませながら進めてください。

Vol.1|ドキドキは、どこから来るのか?

■ その鼓動は、何を告げているのだろうか?

緊張しているとき。
誰かを強く思っているとき。
あるいは、恐怖に包まれているとき。

どれも心臓は、同じように脈を打つ。
ドキドキと、高鳴る。

不安も、ときめきも、興奮も、
すべてが似たような身体反応を伴うとすれば――

私たちはそれをどうやって「不安だ」と判断しているのだろうか。

身体の反応はひとつ。
だが、その解釈は複数存在するのではないか?

■ 夢が語るのは、身体の状態かもしれない

かつて、毎晩のように悪夢を見ていた時期があった。
目が覚めると、全身が汗で濡れており、心臓は荒々しく脈を刻んでいた。

だが、ある朝ふと思ったのだ。

「悪夢を見たから心拍が上がった」のではなく、
「心拍が先に上がっていたから、
その状態に辻褄を合わせるように、脳が悪夢を描いた」のではないかと。

私たちは、出来事に意味を与えるために「物語」をつくる。
その物語が、もしかすると身体の状態を“解釈”しているのだとしたら。

感情とは、身体の後追いで編まれるフィクションなのかもしれない。

■ 感情を書き換える、身体の回路

不安でたまらないとき、私はよく試していたことがある。

深く息を吸い、止める。
両手を握りしめ、顔も脚も腹も背中も、全身に力を込める。

そして、限界まで力を入れたのち、息を吐きながら一気に力を抜く。

その瞬間、心拍数はさらに跳ね上がる。
だが、不思議なことに不安は静かに退いていた。

まるで「この心拍は、不安のものではない」と、
身体が新しい解釈を脳に提示してくれたようだった。

同じ“ドキドキ”でも、
それが何を意味するのかは、どうやら選べるらしい。

■ そっと触れてみるための小さな方法

以下は、私が繰り返し試していたやり方である。
もしよければ、静かな場所でそっと触れてみてほしい。

  1. 深く息を吸い、止める。
  2. 手足、腹、肩、顔……全身に意識的に力を入れる。
  3. 数秒保ったあと、ゆっくり息を吐きながら一気に力を抜く。
  4. そのまま、数秒。
  5. 身体に起きた変化を、感じてみる。脈。呼吸。胸の奥。

これは「正解」を求めるための動作ではない。
ただ、動いた身体がどんな感情を連れてくるのかに、
そっと耳を澄ませるだけである。

■ このドキドキは、敵だろうか? 味方だろうか?

私たちは、心臓の鼓動を恐れるように育ってきた。
「不安だ」と、「緊張している」と、「逃げなければ」と。

とはいえ、心拍の上昇は、必ずしも“敵”のサインではない。
ただ、何かが始まろうとしている身体の準備なのかもしれない。

エンジンがかかるとき、音がするのは当然である。

その音を、「不安」と名づけるか。
あるいは「始まり」と捉えるか。

意味の分岐点は、もしかすると――
こちら側にあるのかもしれない。

今日、あなたの鼓動は何を告げていただろうか。

そのドキドキを、もう一度そっと手のひらにのせてみることはできるだろうか。

Vol.2|こころのBGMが、世界を作る。

■ 同じ風景が、別の物語に聴こえるとき

十数年前、

ある実験をしたことがある。

まったく同じ画像を30枚、同じ順番で表示させ、
2つのアニメーション動画を作り、
ひとつにはバラードを、もうひとつにはポップな曲を
BGMとして流すというものだ。

そして、数人の人にその動画を連続で見てもらい、
画像の印象について尋ねてみた。

「この動画の画像はすべて同じ画像です」
と伝えると、ほとんどの人が驚きの表情を浮かべた。

どうやら、音楽が大きく印象を変えていたのだ。

同じ視覚的な情報であっても、
その背景に流れる音楽によって、
まったく異なる物語を感じ取ったのだ。

■ 内なるBGMが、世界を編みなおす

この実験から、ひとつの仮説が浮かび上がった。

私たちは、世界という“同じ風景”を、
心の中で鳴っている音楽を通して
読み替えているのではないか?

視覚や触覚といった五感から得る情報も重要だが、
そこに流れる音、つまり内なるBGMが、
私たちの解釈や感情に大きな影響を与えているのだ。

逆境に直面したとき、
心の中でどんな音楽が鳴り響いているだろうか?

その音楽こそが、
私たちの体験を形作る土台となるのではないだろうか。

■ 逆境の中のメロディー

考えてみてほしい。

不安で胸がいっぱいのとき、
頭の中で流れているのは、どんな曲だろうか?

心が焦り、恐れが忍び寄るとき、
その“音楽”は、私たちをどんな世界へと連れて行くのだろうか?

たとえば、何かがうまくいかないときに流れる音楽が、
重たいバラードだとしたら、
どこかで絶望感を引き寄せてしまうことがあるかもしれない。

もしも、内側で流れている音楽が、
悲壮感を増幅させるようなものだとしたら、
視界に映る現実もそれに合わせて、
どんどん暗く、厳しく感じられるだろう。

でも——
ひょっとしたら、その音楽を少し変えるだけで、
状況をまったく違うものとして
捉え直すことができるかもしれない。

■ 心のBGMを、意図的に変えてみる

逆境の中でも、“音楽”を意識的に変えてみることで、
状況そのものが変わり始めるという実験を、ぜひ試してみてほしい。

たとえば、どうしても感情的になってしまう場面で、
思い切って「アホな曲」を流してみる。

たとえば、映画のエンドロールのような、
感動的だけど少しおちゃめなポップソングを、
頭に浮かべてみるのだ。

その曲が心に流れ始めたとき、
あなたは少しだけ軽くなり、
少しだけ笑顔を浮かべてしまうかもしれない。

内側で流れる音楽を、どうチューニングするか。
それは、あなたの“世界の読み替え”の手段となる。

■ 今日の一場面に、どんな音楽を重ねるか

いま、あなたが直面している一場面に、
どんな音楽を重ねるだろうか?

少しだけ、普段とは違う音楽を、
意識的に思い描いてみてほしい。

その音楽があなたの感情に、
どんな変化をもたらすのか、感じてみるのだ。

もしそれが、何かの挑戦や逆境であれば、
その状況を少しでも軽やかにする“音楽”を選んでみるのだ。

あなたの心の中で鳴る音楽こそが、
あなたが世界をどう見ているかを決定づける、
重要な要素である。

その音楽を、少しだけ意識的に書き換えてみることで、
あなたの一日はきっと、新しい色を帯びるだろう。

■ あとがき

感情はコントロールできないもの、
そう思い込んでいたのかもしれません。
ですが、そこに流れる“音楽”の存在に気づいたとき、
わたしたちは少しだけ、その感情との関係を変えられるのかもしれません。

落ち込んだ日に、頭の中にあえてユーモラスな曲を流してみる。
緊張の場面で、壮大なオーケストラを重ねてみる。
そんなささやかな選曲が、世界の見え方を静かに変えていきます。

感情は止められなくても、
その“BGM”を選びなおすことなら、今日からでもできるのです。

上部へスクロール