経営哲学・知の実験室|”銀座スコーレ”上野テントウシャ

《 「通じる言葉」が奪うもの 》

-翻訳と均質化の時代に、文脈の感受性を取り戻す -

翻訳と均質化の時代に、
文脈の感受性を取り戻す

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プロローグ:

言葉が共通になるほど、文脈の肌触りは消えていく事がある。

翻訳すれば、事名は届くと思い込みがちである。

「誰にでもわかる」を目指すことで、語られない沈黙や、その場にしかなかった違いは切り取られていく。

それでも、通じなさを恐れずに立ち止まるとき、言葉はもう一度、ひらかれる可能性を持つのではないだろうか。

文脈が読めなくなる社会

言語化が進めば進むほど、人は分離していくのではないか——そんな疑問を、私はずっと抱えてきた。

以前、ある本で読んだ話を思い出す。

ある言語体系では、色を表す語彙が非常に限られている。たとえば「赤」に該当する言葉が一つしかないにもかかわらず、その言葉は文脈によって何十種類もの「赤」を表すことができるという。語彙としては曖昧でも、文脈の中では正確に通じている。

それは、声の調子、場の空気、関係性の肌触り、記憶、リズム——言葉の「周縁」にあるものを含めて、一つの意味をつくっているということだ。

しかし現代の私たちは、「わかりやすさ」と引き換えに、その感受性を手放してきたのかもしれない。

たとえば、かつては曖昧なグラデーションの中にあった「赤」は、いつの間にか「#FF0000」という値に固定される。そしてそれ以外の赤は、「赤ではない」とされてしまう。

言葉を明確にすることで、私たちは共通理解を得た。

しかし同時に、「その場にしかない」揺らぎや肌触りを失っていったのではないだろうか。

翻訳という名の切り取り

この「感受性の手放し」は、グローバル化によってさらに加速したように感じる。
グローバル社会は、あらゆる文化や思想を「共通語」で接続しようとする。
倫理、サステナビリティ、ジェンダー、人権、気候変動——どれも大切な概念である。

しかし、そうした言葉が世界中に広がる過程で、ある問題が起きている。それは、「翻訳可能なものだけが、生き残る」という事態だ。

たとえば、ある地域の風習、ある人の祈り、ある共同体の美意識。
それらは、グローバルな語彙に変換できるときだけ、正当性を持つ。

「誰にでも伝わる形」に整えられたときだけ、価値を保証される。
翻訳という営みが、「そこにしかなかった何か」を切り取ってしまう。

言葉は共通になるほどに、文脈を失っていく。

グローバル化とは、つながるための試みであると同時に、「違うままでいること」が許されにくくなる圧力でもある。それは、異質さを均質化し、「翻訳可能な差異」だけを許容する、やわらかな暴力だ。

それでも、ひらかれた言葉の可能性

もちろん、グローバル語彙がもたらした恩恵も確かにある。

たとえば、ローカルな抑圧や不正義が、共通語を通じて可視化され、「これは間違っている」と声を上げられるようになった。

遠くの誰かの痛みにアクセスし、それを自分の問題として受け止めるための語彙は、グローバルな言葉によって育まれた部分もある。

翻訳には暴力性がある。

しかし同時に、翻訳には解放力もある。だからこそ、大事なのは「言葉を使うか否か」ではなく、どんな姿勢でその言葉を使うか、なのだと思う。

共に在るための言葉へ

私たちは、つい「正しい言葉」「通じる表現」を求めてしまう。

でも、本当に大切なのは、翻訳しきれない沈黙に、とどまる勇気ではないだろうか。

言葉にすれば、こぼれ落ちてしまう何か。
通じるようで届かないもの。
それらに耳を澄ましながら、翻訳されないままの「違い」を大切にすること。

その営みのなかに、きっと、言葉が奪ったものを、言葉によって取り戻す可能性がある。
それは、簡単には通じ合えない相手と、それでも関係を結ぼうとすることなのかもしれない。

[補足・注釈]

  • 本文中に登場する「赤」の色彩語の事例は、人類学・言語学の文献に基づく一般化された例です(例:ブレント・ベルリン & ポール・ケイ『基本色彩語』など)。実際の文化では言語の構造が異なるだけで「未発達」ということではありません。

  • 本稿はグローバル化や共通語彙の意義を否定するものではなく、翻訳や共通理解の影で失われていく感受性の重要性を考察することを目的としています。

余白のノート

この構造は、サブカルチャーがメインカルチャーに翻訳・吸収される過程にもよく似ている。

たとえば、特定の時代や場所、共同体の中で生まれたサブカルチャーは、空気感や文脈、反骨精神、共犯性に支えられていた。
しかし、それが「カルチャー」として広く認知されるとき、「共感しやすく伝わりやすい部分」だけが抽出・翻訳され、消費されていく。

その過程で、もともとあった毒や痛み、ひっかかり、親密さの濃度は薄まっていく。

グローバル語彙が文脈を切り取ってしまうように、カルチャーもまた、「誰にでも伝わる形」になった瞬間に、何かを失う。

文化の翻訳とは、意味を届けることだけでなく、「安心して受け取れるかたち」に加工することでもある。
そしてそのとき、「これは本当に、あのときの言葉か?」という問いが、ひそかに立ち上がる。

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